カノン69さんが作曲し、ビスさんが歌った「ネクロの花嫁」。
2015年のリリースから現在まで人気の曲ですが元ネタが気になる人も多いのではないでしょうか。
ある事件が元ネタとなっているようですね。
ネクロの花嫁の元ネタの事件は?

(出典:Spotify)
「ネクロの花嫁」というフレーズを聞くと少し不思議な気持ちになる方がいるのではないでしょうか。
このタイトルが指し示す物語の背後には、一見ロマンティックでありながらも非常に衝撃的なエピソードが潜んでいるのです。
1930年代にアメリカ・フロリダ州キーウェストで実際に起きた事件
今回取り上げる「ネクロの花嫁」の元ネタは、1930年代にアメリカ・フロリダ州キーウェストで実際に起きた事件が土台となっているのです。
その事件の経緯を知ることで、なぜ「ネクロの花嫁」が“死”や“愛”と深く結びつく内容になっているのかがわかると思います。
以下がこの事件の概要になるのですが、ゾッとする、気持ち悪いと感じる人もいると思います。
この事件は、病院に勤めていたカール・フォン・コーゼルさん(既婚、妻子あり)が結核患者の女性エレナ・ホイグルさんを深く愛し、彼女の逝去後にその遺体を墓から掘り出した行為により知られるようになりました。
逝去から1年半以上が経った遺体を持ち帰ったうえで、腐敗を防ぎ、美しさを取り戻すためのさまざまな処置をほどこしたと伝えられています。
死という揺るがない事実に反抗するかのように、装飾品や香水、ワイヤーを駆使して遺体を繕い続けたのです。
しかし社会的には、遺体損壊や墓荒らしにあたる重大な犯罪行為であり、多くの人々が驚愕しました。
報道が出た際は、驚きや嫌悪だけでなく、ある種の同情を示す声もあったとされていますね。
周囲が「気味が悪い」と非難する一方で、「本当にそこまで愛していたのか」と興味を向ける人もいたのではないでしょうか。
この事件は、やがて「死してもなお続く恋物語」と呼ばれたり、「狂気の沙汰」とみなされたりと、人々の間で議論が絶えなかったようです。
実際に何があったのかについては事件記録が残っていますが、彼の心境をすべて推し量ることは難しいですよね。
以下にもう少し本件を細かく解説します。
・カール・フォン・コーゼルは、1877年2月8日にドイツ・ドレスデンで誕生。
・1920年に結婚し、2人の娘に恵まれた。
・1926年、オランダ発・キューバ経由でアメリカに入国し、フロリダ州ザファーヒルズへ定住した。
・しかし翌年、妻子を捨てて蒸発し、キーウェストのマリーン・ホスピタルでレントゲン技師として働き始めたようです。
・当時名乗っていた偽名が「カール・フォン・コーゼル」で、本名はカール・テンツラーだった。
・1930年4月、マリーン・ホスピタルに通院していたエレナ・オヨスに一目惚れした。
・エレナは当時20歳でキューバ移民だったのですが、末期の結核に苦しんでいた。
・コーゼルは「私が病を治すから結婚してほしい」と声高に求婚し、根拠不明の治療を試み続けた。
・しかしエレナは1931年10月25日、22歳の若さで亡くなってしまい、コーゼルは彼女のために霊廟を用意。
・やがて1933年4月、コーゼルは霊廟からエレナの遺体を持ち出し、自宅で防腐や補強を施し、7年間も一緒に暮らした。
・遺体の目には義眼を入れ、抜けた髪で作ったウィッグをつけるなどして“蘇生”を試みていた。
・1940年10月、エレナの姉がその噂を聞きつけ、家に訪ねたことで死体と暮らす事実が発覚。
・墓荒らしなどの罪で逮捕されたものの、公訴時効を過ぎていたため裁かれず、世論には純愛物語として好意的に報じられた。
・その後コーゼルは釈放され、ザファーヒルズへ戻ってパルプ誌の取材を受けたり手記を執筆したりして余生を過ごした。
・1952年7月に自宅で亡くなった際、遺体のそばにはエレナのデスマスクをかぶせた人形があったとされており、最後まで彼女との暮らしに執着していた。
・さらに1972年頃、エレナの検視解剖に携わった医師の証言から、コーゼルが屍姦の手段まで用意していた可能性が示唆され、世に衝撃を与えた。
深すぎる愛なのか、ただヤバい奴なのか本件は意見が大きく分かれます。
続いては「ネクロの花嫁」の歌詞にこの事件のエッセンスがどう入っているのか紹介します。
ネクロの花嫁の歌詞の意味を考察

(出典:YouTube)
「ネクロの花嫁」は奏音69さんの作曲によるもので、びすさんが歌唱し、ハンターのリッパーとサバイバーの機械技師というキャラクターのデュエット形式をとっているのです。
歌詞全体にみなぎる耽美的でゴシックな雰囲気は、先の事件がもつ異常な執着や狂気と綺麗に重なっているようです。
曲のなかには「口唇に生気を吹き込む」「腐り落ちた眼孔に青い硝子を」など、生々しいイメージを呼び起こすフレーズが登場。
遺体を美しい姿のまま保とうと試みる行為そのものが、倫理観を揺さぶるような描写につながっているようです。
「物謂わぬ口唇に生気を吹き込んで」
あらゆる創作物を楽しむ方にとって、この表現は耳に残るのではないでしょうか。
ここでは、既に声を失った娘の唇に生気を与えようとする描写が際立ちますね。
死者を蘇らせる願望というのは、ファンタジー作品でもよく使われますが、この歌詞では非常に生々しく描かれているのです。
現実の事件でも、カール・フォン・コーゼルさんがエレナ・ホイグルさんの遺体に香水や防腐剤を施し、いわば「命を吹き返したかのように」扱っていました。
そこには、周囲の目よりも自分の愛を最優先にした“執着”が表れているのではないでしょうか。
「物謂わぬ口唇」という言葉は、会話ができない亡き者へ執拗に呼びかける行為を象徴しているのです。
「それは永遠の恋か、禁断の行為か」
人は往々にして、愛の深さと社会規範のどちらを優先すべきか悩むものではないでしょうか。
曲中では、愛ゆえに墜ちていく医者の心情と、朽ち果てた娘を抱く姿が描かれるのです。
これは「永遠の恋」に見えるのか、あるいは「禁断の行為」へと突き進む狂気なのかを私たちに問いかけているようですね。
実際のカール・フォン・コーゼルさんも「誰にも理解されないだけで、本当にエレナを愛していただけ」と主張し、人々に「彼女を見棄てたのは社会ではないか」と訴えていました。
愛という言葉の美しさが、人の目には恐怖と映ることがあり得るのだと考えさせられます。
そうした矛盾を抱えながらも、物語はさらにダークな方向へ踏み込んでいきますね。
「朽ちてもまだ美しい顔で」
誰かを失ったとき、その人の姿を永遠に記憶に焼き付けたいと思う人は珍しくないかもしれませんね。
しかし、「朽ちてもまだ美しい顔で」というのは現実的にはあり得ないはずの表現なのです。
とはいえ、この曲では死後もなお美しさを求め、遺体を繕う行為が執念深く描かれています。
そこでは、肉体が朽ちていく事実を認めようとしない医者の葛藤と、それを永遠に愛し続けたいという願望が衝突しているようです。
事件でも、香水やワイヤーなどを使用し、エレナ・ホイグルさんの亡骸を無理矢理にでも“美しさ”を保つよう試みていたとされていますね。
そうした延命処置にも似た行為を続けた結果、周囲からの理解は得られなかったようですが、その熱意だけは想像を超えるものがあったのではないでしょうか。
「腐り落ちた眼孔に青い硝子を」
目は魂の窓と呼ばれることがあるため、このフレーズは一層生々しい印象を与えると思います。
現実の事件では、彼女の眼球が失われたのち、そこにガラス玉を嵌め込んだと語られています。
歌詞の「青い硝子」という表現は、まさに人間の眼の象徴的な美しさを人工的に再現しようとした行為を彷彿とさせますね。
ここに、愛する相手のぬくもりを何とか取り戻そうとする一途さと、死者との禁断の生活を築く倒錯性が見え隠れしているようです。
普通なら倫理観が働いて踏みとどまるところを、医者である彼は「永遠の花嫁を手に入れたかった」という思いで押し通してしまったのでしょう。
「嗚呼哀しき花嫁、物謂えぬままで」
愛を囁かれる花嫁が、なにも語れないまま裁かれていく図を思い浮かべると、複雑な気持ちになる人が多いのではないでしょうか。
事件でも実際に、エレナ・ホイグルさんは意識のない状態でずっとカール・フォン・コーゼルさんの元に置かれていたわけです。
曲中では、花嫁として祝福されることなく、“哀しき存在”として扱われていますね。
さらに裁判の場面を示唆する歌詞も見られ、事件さながらに医者が周囲の糾弾を受けるシーンが想像されるのです。
死者との生活を選ぶ行為が、どれほど社会の価値観と乖離しているのかが明確に浮かび上がってくるため、楽曲を聴く人に強い衝撃を与える構成だと思われます。
ネクロの花嫁が向いている人とは
「ネクロの花嫁」の歌詞にあるように、心のどこかでダークな題材に惹かれる人は少なくないのではないでしょうか。
そうしたゴシック的要素が好きな方には特に強く響く可能性が高いと思います。
以下のような性質に当てはまる方は、本作の世界観に惹かれるのではないでしょうか。
もちろん、本作にはかなり生々しい表現も盛り込まれているのです。
そのため、遺体や死というモチーフに抵抗が強い方にはショッキングかもしれませんね。
しかし、それらの要素を通じて“本当の愛とは何か”を問いかける奥深さがあるとも言えます。
実際の事件とリンクさせながら歌詞を読み解くことで、楽曲が本来持つ耽美的な美しさや悲しさがより鮮明に伝わってくるのではないでしょうか。